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『チューリップ裁判・・・』

チューリップの歌はひじょうに有名で、こどもの頃一度は歌ったことがあると思います。

この歌詞の誕生秘話を調べてみると、なんだか日本の音楽著作権のルーツが見えてきました。                

    唱歌『チューリップ』チューリップ

            作詞:近藤宮子 作曲:井上武士 

   サイタ サイタ チューリップ ノ ハナガ

      ナランダ ナランダ アカ シロ キイロ

         ドノ ハナ ミテ モ キレイ ダナ

 

作詞者である近藤宮子さんは1907年広島市に生まれました。

1931年に、国文学者の父、藤村作の教え子で東京音楽学校(後の東京芸術大学音楽学部)の講師である近藤忠義と結婚し、その同じ年に、新唱歌教材募集の仕事をされていた父親の奨めで宮子さんが作詞されたそうです。
宮子さんは1ヶ月足らずで「チューリップ」、「コイノボリ」、「テフテフ」、「タンポポ」、「カミナリサマ」、「オウマ」など10編を作詞され、作曲を東京高等師範学校附属小教師の井上武士氏が担当されました。当時は童謡などの作詞者名は公表されないことが多かったそうで、「チューリップ」も無名の詞であったため、お互い誰が作詞、作曲したか知らなかったそうです。


ところが、井上武士氏が亡くなると、作詞・作曲したのは自分であると主張する人物が現れました。当時の日本教育音楽協会会長、小出浩平氏でした。これには著作権料が絡んでおり、日本教育音楽協会の大切な財源となっていたようです。

宮子さんはこのことを知りながらも、金銭がらみ問題に嫌気がさし、いやな争いにかかわりたくなかったことから、著作権に関する手続きをとることなく放置されたようです。


1970年、著作権法が全面改正され、著作権というものが広く一般に認知されるようになりました。

この頃、新聞記者をされていた宮子さんの息子さんが、友人の記者に「小さい頃、こいのぼりの作詞はお母さんがしたのよと聞かされた」と話し、このことが新聞記事になり話題になったそうです。

 

「チューリップ裁判」について

1983年、「歴史の事実は曲げられない」76歳の宮子さんは裁判に立ち上がりました。
高裁判決では宮子さんの作詞のモチーフや環境を調べ、小出浩平氏の作品と比較検討し、宮子さんの表現の詩的感性が優れており、小出氏の性格と発想ではここまでおよばないとの、指摘がされました。さらに「ドノハナ ミテモ キレイダナ」の表現について 、宮子さんは以下のような思いをこめていたことが裁判を通じて語られたそうです。

「何事においてもそれぞれのいいところを見て過ごそうという自分の人生の基本的な考え方、殊に、弱いものには目を配りたいという気持に基づくものであった」

高裁判決では、このことを評価、信憑性が高いと認めています。
控訴上告が続きますが1993年、相手が上告せず、宮子さんの勝訴が確定します。
『チューリップ』、『コイノボリ』ほか全作詞が認められました。このとき86歳、宮子さんの心証が裁判の決め手となった画期的な判決ではないでしょうか。

この 裁判の勝利は、いままで軽視されてきた作詞者の権利を高め、次第に「著作者人格権」が確立されるようになったそうです。

1999年、宮子さん永眠する。享年92。

 

 

ちなみに、実は2番と3番があるのを知っていましたか?

ゆれる ゆれる チューリップのはなが

かぜに ゆれて にこにこ わらう

どのはな みても かわいいな

 

かぜに ゆれる チューリップのはなが

とぶよ とぶよ ちょうちょが とぶよ

ちょうちょと はなと あそんでる

 

<2、3番の作詞作曲:井上武士>

 

 

<参考資料>

CiNii論文 <追悼>「チューリップ裁判」の近藤宮子さんを思う 小林茂夫氏

童謡「チューリップ」を授業する TOSS有動英一郎氏記事より

 

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